本当は青色申告する予定だったんだが。
保育園送っていく帰りに前働いてた警備会社の前社長の娘さん(つまり現社長の奥様:婿養子)に会ったので子供同士を遊ばせる。
で電車。=実家到着昼過ぎ。
しかもそこから車で20分。私に免許は無い。
五時までにおむかえ。=三時すぎには出なくてはならない。
…開口一番親父に(・∀・)カエレ!!と言われましたorz
何もせず実家でまったり。
尋ね人あり。
西本のおばあちゃん(母方の祖母)でした。
いろいろと立ち話という名の説教をされ。
丁度彼岸なので母さんのお墓参りにきたとのこと。
ウチの墓は荒れ果てていてだれもお参りに行っていないのだと思っていました。
ありがと、おばあちゃん。
親父がバカチンなので、山道を茨を掻き分けながら進む状態。
墓自体も荒れ放題だった。
おばあちゃんは「生花はカラスやサルに持って行かれるけど、これならいつまでもきれいだから、、、」と言って造花を飾っていた。
造花は何本もあった。
私は、何よりも綺麗だと思った。
腰が曲がったおばあちゃん、今まで一人で行ってたのか。ごめんな。
親父が何もしないから、墓の上に倒れてきた木とか、いままで全部おじいちゃんが切ってくれていたみたい。
そのおじいちゃんも、心臓の手術して寝たきりみたい。
ごめんないままで知らなくて。
今度、お見舞いにいくよ。
実家のばーちゃんがボケたとき、まだ子供で罵声を浴びせるしかできなかった。
だからその分もおばあちゃんたちに今から返すね。頑張るね。
山を降りて、おばあちゃんから昔の話を聞いた。
http://siestaxxx.seesaa.net/article/11910518.htmlここで実家の写真を公開しているのだが、石垣が城みたいだなぁとホルホルしていたら本当に山城だった可能性も出てきましたよコリャ。
西本のおばあちゃんの話によると、実家のばーちゃんが朝鮮から帰ってきて今の家を建てた。戦争で蔵だけになってしまったけどその前はそれは立派な家で、近所の人が米を担いで上ってきて蔵に収めていた。
今の小学校のもとをつくったのも何代か前のおじいちゃんだと。
建物も立派でこの敷地全部がお屋敷だったんだよ、と。(私が生まれたときには本宅と蔵と別宅、車庫になっていた納屋、漬物小屋、山羊やウサギがいた小屋、農機を収めていた納屋があった。あと庭二つと日本庭園と円墳くらいの小山ひとつまで庭だと思ってたな確か)
墓も家を見下ろす場所に20基くらいあるからその方向が怖かった。
・・・・・・明治時代くらいにうまれたかったなァ・・・・(´=ω=`)
この家に生まれたことを誇りに思え、と言われました。
うん。誇りに思うよ。
いろいろ話してくれてありがとうおばあちゃん。
また、家に帰ったときお見舞いにいくからいろいろはなしてくれますか?
ほんでまぁ給料日が27日だと言うのに残金が1500円しかなかった(当然おろす金も無い)私は帰りに親父が持ってた全財産2000円を奪って帰ったのでした。
plammet教祖様と張れるくらい貧乏だよ!(貧乏だよ!)
posted by 千景 at 18:52
| 広島

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千景雑記